自由道は燃えているか!?「第9話」

マザー百科が夏の友です

白金も 黄金も 珠もなにせむに まされる宝 子にしかめやも
山上憶良

第九話
子ども達はオモイデを歌う
日中の騒々しさ蝉の鳴き声が懐かしみつつ
夕暮れ時に始まる庭先の演奏会が、夏が終りを告げる。
強い日差しの下、麦藁帽子の子ども達が走り回る嬌声が
今はもう聞こえてこない。
そんな郷愁の思いが込み上げ、胸を詰まらせた時に
ふと、あの子ども達の探検の足跡を思い出す。

MOTHER 1+2

ある日突然、電気スタンドが襲い掛かってきた。
そしてパパからの電話。
初めて街へ出かけてのお買い物。
友達との出会いと、見知らぬ土地への探検。
小さい頃、夏休みの一日に、ふとあの丘の向こうに
この河の向こう側は、その山を越えた所には、何があるのだろうと
ポケットにビスケットとチューペットを詰め込んで
旅立ったあの日が思い浮かぶ。
そういう感情が湧きあがる不思議なゲーム。


数あるゲームの中でも、マザーが特異な位置にあり
人の心を捉え続けるのは、ある一点が他とは違うからでしょう。
多くの場合、憎むべき敵と倒すべき悪が巧妙なワナを仕掛けて
主人公達を待ち受けますが、マザーには然るべき相手は存在しません。
動き出した機械や、襲い掛かる人間、暴れ回る動物は、
主人公と戦いはしますが、戦闘の後には正常な状態に戻ります。
機械は壊れて動かなくなり、動物はおとなしくなり野生に戻り
主人公にキツクあたって来た大人も、理性を取り戻し
何事も起こらなかった様に、元の生活に戻ります。
子ども達は、どこかオカシクナッタ世界の原因が知りたくて
探検の旅へと出掛けたのであって、お金や財宝
強さの証を求めたり、平和な日常を取り戻す為に戦おうとはしない。
自分の身に起きた、不思議な力の源を求めて何かに導かれる感じ。
あるいは、飛び回るセミを捕まえる為、懸命に追いかけて
辿り着いた場所が、たまたま最後のボスの居所だったにすぎません。
その最終地点で、試されるのは「強さ」や「装備」といった
あたり前の事で決着は付きません。
子ども達は、セミを踏み潰す為にココまで辿り着いたのではないのです
セミを捕まえて、持って帰りたいのです。
その為には慎重に近づいて、そっと網を被せなくては。
今まで友達と一緒に歩んできた貴重で大切な体験を、活かす時が来たのです。

子ども達はオモイデを歌う

一般的にゲームは手に汗握るボスとの攻防の後に、楽しくも切ない
エンディングが始まり、涙・ナミダのクライマックスに感動しますが
マザーでは、エンディングは、おまけに程度です。
本当の結末は、ボスと対峙した瞬間に始まり、そして終わるのです。
平和な世界が始まるのではなく、元の生活に戻るのです。
楽しかった生活は突然終焉を向かえ、普段の日常が繰り返されます。
それはまるで、夏休みが終わる様に。


長き休息は終わり、学校が始まるのです。
でもその期間、子ども達は何かを失った訳ではなくオモイデを手に入れたのです。


昔、少年だった自分には、この言葉を送ってコーナーを〆たいと思います。

「夏草や兵どもが夢の跡」
松尾芭蕉

以上『日刊ゲームスクウェア』 2001/09/01号より
前回までの『自由道は燃えているか!?』はコチラで読めます。


毎回、バカ文章を書いているけど、これは我ながら良い文章だ!
と自負しているが、どうでしょうか?
GBAでMOTHERが発売された時は、スグに買いに走りましたとも。
何度遊んでもあきないゲームだ。