結実した「王者」への思い

創刊40周年の週刊少年チャンピオン

今日も『神戸新聞』を読んでいたらびっくらこいた。
最近は、サンマガ50周年で漫画家にインタビューした記事が載っていたけど
週刊少年チャンピオン40周年も記事になるとは思わなかったな〜
神戸新聞独自企画じゃなくて、他の記者が書いたのを持ってきただけの記事なのかな?
チャンピオンが新聞に取り上げられた事を知ったのは、4月終わり
読売新聞で何回か掲載され今も継続中らしいです。
【マンガ50年】「王者」の伝説(1) 「がきデカ」苦悩の執筆
【マンガ50年】「王者」の伝説(2) 怒れる編集長 「弱小」返上
【マンガ50年】「王者」の伝説(3) 部数「あり得ない」急伸
【マンガ50年】「王者」の伝説(4) 黄金期の後も自由な気風
この企画の後追いなのかどうかは知りませんが、神戸新聞でも小さい囲み記事でチャンピオンネタを掲載。
ネットで調べてみても、HP上には発表されてないので、ちょっくら転載。

雑誌は語る

 世界に誇る日本の漫画文化をけん引してきた週刊少年誌。
ドカベン」や「ブラック・ジャック」など漫画史に残る名作を生み出してきたのが
週刊少年チャンピオン」(秋田書店)だ。
 創刊は一九六九年。「週刊少年マガジン」などのライバル誌は既に存在し
週サイクルのテレビアニメも子どもたちに浸透。
漫画出版を柱としてきた秋田書店が「週刊雑誌」に参入したのは時代の流れでもあった。
 「漫画の王者になるという意味で『チャンピオン』という雑誌名になった」
と話すのは、立ち上げ時のメンバーだった神永悦也編集局長。
そうした思いは、二代目の故壁村耐三編集長時代に結実する。
がきデカ」(七四年)、「マカロニほうれん荘」(七七年)など
型破りで個性的なキャラクターが女子中高生らにも人気を集め
七八年末の新年合併号は二百五十万部を刷って「日本一」に。
「独自色と一話完結が増えて読みやすくなったことも大きかった」と神永さんは振り返る。
 壁村さんは今も名編集長として語り継がれる存在だ。
現編集長の沢孝史さんによると「作家を引っ張っていくカリスマ性のある人だった」という。
「スランプだった手塚治虫さんに、壁村さんが
 『手塚先生、一旗挙げようや』という感じで描いてもらったのが
 『ブラック・ジャック』だそうです」

誌面が足りなかったので、この位しか文章が載ってなかったのが残念。
もっと大きく特集して欲しかったな〜
一縷の望みは

週刊少年チャンピオン」(上)

とタイトルの横に振ってあるので、次回が(中)なら3部作の可能性があるって事ですよ!
まあ3週間に引っ張るような大きなコーナーじゃないので、多分来週で終わっちゃうと思いますが…
そんな事よりも、注目すべきは文章ではなくて写真ですよ。
創刊40周年の特集号である俵と白球が表紙のチャンピオンが一番上に置かれていますが
その周りに配置されたのは「クローズ」「バキ」「浦安」と並んで「みつどもえ」が!
16号8号
17号
12号18号

三本柱とクローズは予想の範疇でしたが、編集部の一押しとしてみつどもえがノミネートされるとは。
その周辺の号では、弱虫ペダル表紙もあったんですがそれをあえて外しましたか。
最近アイドルが表紙を飾らずに漫画を推してきたのは、新聞とかで取り上げられた時の為の少年誌宣言だったのかも。
さて、来週はどんな話でコーナーを〆てくれるのだろうか?
壁村編集長の「刺すぞ!」発言が載るのかどうなのか、ワクワクしながらお待ちしております