完全な食欲を求めて[連載3]

トレヴァーブラウンの表紙が目印

トゥネガティブに掲載された阿久津勘平さんのコラム第3回目。
喰うという文化を通して、人間の歴史を語るという素晴らしいコラムです。
鯨の話が、宗教の話まで飛び火した前回同様
猿を食べる話が、どんな風に展開するかお楽しみ下さい。

猿を喰う!!

 今度は猿。
 といっても、猿を喰った話は、あまり聞いたことがない。
日本では、猿を喰わないのだろうか。
 中華料理では喰う。これは有名だ。もっとも、肉を喰うのではなく、脳味噌を喰う。
肉を喰うというのはあまり聞かない。
猿の肉はまずい、あるいは毒があって喰えない。というわけだろうか。
 中国以外でも、猿を喰う人々がいる。
インドでは、喰う蛋白質のほとんど全部を猿に依存している部族もいる。
猿ばっかり喰っているわけだ。
それほどではないにしろ、猿を日常的に喰っている人々は、アフリカやアジアに多くいる。
 だから、猿の肉が喰えないというわけではない。
中国では喰わないように思われているのは、脳味噌を喰うことに関心が向けられているからにすぎない。
実際は、肉も喰っている。
どんな味かは知らないが、少なくとも常食している人たちがいるんだから、それなりにうまいのだろう。
 中華料理で有名な猿の脳味噌は、きっとうまいに違いない。
うまいから、高級料理として存在するわけだ。
有名になったのは、その奇怪さだろう。
何しろ、脳味噌だけを取り出して料理するわけではない。
脳味噌の料理とは、他にいくらでもある。
それらの場合、材料をそれとわからない方法で調理する。
ところが猿の脳味噌は違う。
猿の頭が、皿に載って出てくる。もちろん、顔もついてる。顔が器代わりなのだ。
 たしかに、これはかなりグロテスク。
 動物の頭は、普通縦長だ。だから、両目はその左右の面についている。
眼が左右並んでいるわけではない。
つまり、左右の目で同時に見れる範囲がそれほど広くない。
ところが人間は、ちがう。
両目が同じ面についてる。左右の視野は、ほとんど重なっている。
猿の眼は、動物よりもはるかに人間に近い。
だから、その人間に近い頭と顔が皿に載って出てくれば、これで人間の頭を連想しない方がおかしい。
 この連想を無視して、食欲だけ、味覚だけに集中できる中国人というのは偉い。尊敬してしまう。
 よく言われるのが、中国人は、机以外のものなら足のあるものは何でも食べるという。
猿も足があるし、机でないから、食べるのは当然というわけだろうか。
それでは同じ条件の人間はどうだろう。
人間も足がある。机でもない。中国人は、人間をも食べるのだろうか。
 実は人間が人間を喰うというのは、それほど珍しい話ではない。
まず喰うものがないという極限状況では、人間を喰う。
餓死を選ぶ人もいれば、食人を選ぶ人もいる。
 昔アンデス山中に墜落した旅客機の乗客が、そうだった。
食人を拒否した人は死に、喰った人は生き残った。
そんなものだろう。もっとも、家族や顔見知りを解体して、それを喰うというのは、相当抵抗があったようだ。
何しろ、調味料どころか、火も使えない中で人肉を喰うのだ。
肉を細かく刻んで、干して喰ったそうだ。
 戦時中には、日本兵も食人をした。
ニューギニアなどでは、補給を閉ざされた部隊が選んだのは、食人だ。
敵兵や現地の人を喰いたいのだが、そう簡単に捕まらない。
味方の死体を喰うことから始まり、そのうち殺してでも喰ったという。
 これらはいずれも限定された状況だ。
飢饉・飢餓は歴史上何度もあったから、数は少なくない。
だが、きっと罪悪感を持って喰っていたのだろう。うまくなかったに違いない。
だからここでは、例外として扱おう。
 習慣化された食人もある。
たとえば昔、『人喰い人種』など呼ばれた人々がいた。
しかしその場合の目的は栄養を摂取するとか、うまいものを味わうといったものではない。
死者を弔ったり、あるいは死者の能力を得んとする宗教的な儀式としての食人である。
そういえば、人間の肝臓を食べていたといわれるどこかの国の独裁者がいたが、彼の目的も同じようなものだった。
 つまりは、現代の我々が牛を喰う感覚で、人間を喰うということは、あり得ないということだろうか。
 何でも喰うという、中国の歴史に聞こう。
さすが四千年の歴史がある。何でもありの世界でだ。
食人の例はいくらでも出てくる。
中には、食用人間を飼育し、行軍の祭連行して喰ったという軍閥の話もある。
しかし、その所行が記録として残されていることを見れば、おそらくはそれが奇怪な行いとの認識があったからだろう。
つまりは、やはり中国人とて人を喰っていいと思っているわけではない。
 ヨーロッパでは、食人を法律で禁止している国がある。
日本あたりだと「死体損壊罪」を適用するところだ。
わざわざそうした法律を作るのは、人間を喰いたがるやからがいるということだ。
人の行うことのないことを、法律で禁止しない。
禁止することは、それを行う人の存在を認めることに他ならない。
日本人が思うより、食人をしたくなる感覚があるのだろうか。
 もっともこれも、うまいから食う奴がいて、それを禁じたとは限らない。
むしろもう少し別の感情や目的があると思われる。
やはり人間は、他人を食料としてみる習慣はなさそうだ
(食人については、機会があればもう少し詳しく書こう)
 仮に、人を単純に「うまい食料」として見なすという集団=民族や部族が存在していたとしても
その集団の末路は決まっている。
他の集団から滅ぼされるか、自滅するかである。
これは人間に限ったことではない。
共食いは、特殊な条件で行われることであって、一般的な食料として、自分と同じ種を認識している高等動物は存在しない。


 猿に戻ろう。
 実は日本人も、猿を喰ってきた。それも、はるか昔から、最近まで。
どのくらい最近かというと、昭和の初期までは、喰っていた。
本当に、つい最近のことだ。
 昔とは、どのくらい昔なのかは、後で触れることにしよう。
 とにかく日本人も、長い間、猿を喰ってきた。
その調理方法に関する記録は、それほど多くない。
まず一番ポピュラーなのは、鍋である。猪鍋ならぬ、猿鍋だ。味付けは、味噌でつけた。
黒焼きもある。毛を剥いてそのままの形で丸焼きにする。
これは、人間の子どもとほとんど変わらないので、初めて見た人は驚くという。
 それ以外に、なますにして喰った。
なますとは、肉を細長く切り、生のまま塩や糀をつけて喰うのだ。
現在の調理方法とは少し違う。
 内臓はどうした。もちろん喰った。
そもそも狩猟を行う人々は、肉よりも内臓を先に喰う。
栄養も豊富だし、だからうまい。
うまく感じるということは、それが躰にいいということを、躰が教えているわけだ。
 狩りの功労者に分け与えられるのは、必ず内臓である。
心臓や肝臓、あるいは脳であったりもする。
このあたりは、その地の習慣によってまったく違う。
もちろん、獲物や調理方法も異なるから、部位が違うのは当たり前だろう。
しかし、肉が選ばれることは、あまりない。
ロースとて、内臓から見れば色あせるのであろう。
 猿の内臓は、まず心臓や肝臓、それに脳味噌が喜ばれた。胃も好まれたという。
これらは、天皇や寄贈の食事に関する記録である。
だから、それ以外の内臓も捨てられたとは思えない。
きっと、ほとんどの内臓は喰われたのだろう。
 味の方はどうか。肉はうかまったらしい。どのくらいうまかったのか。
「そのにくはたいへんうまい。何とも言えん味がした」
などと記している猟師もいた。
これは相当期待できる。
しかし残念ながら、今日の我々が猿を喰うのはそれほど簡単ではない。


 さて、ではいつのころから猿を喰うようになったのか。これを考えよう。
結論から言えば、ずーっと昔。ずーっと、ずーっと昔からとなる。
日本人が、日本人になる前。
人間がこの列島に渡ってくる前。いや、人間が人間になる前から猿を喰っていた。
 つまり、猿の時代から、猿を喰っていた。
 進化の物語。人間が猿から生まれたことは、みんなが知っている。
じゃぁ、どんな猿が人間になれたのか。そこまでは知らない。
だから教えてあげよう。
それは、猿を喰った猿だってことを。
猿を喰った猿が、人間になれたってことを。


 猿から人へを知るためには、猿がどうやって生まれたのかを知る必要がある。
 人の前は猿。では、猿の前は?
意外と知らない。実はモグラの仲間なのだ。
 恐竜がこの地球上を、支配していた時代があった。
それが、突然終わる。なぜかはわかっていない。
小惑星が衝突しただの、火山が噴火しただの、何百もの説がある。
どれが真実かわからないが、とにかく恐竜は死滅した。
 次にこの惑星を支配したのは、ほ乳類だ。
草原から大海まで、ほ乳類は進出した。そこに似合う様々な形の躰を手にして。
 ところが密林だけは例外であった。
樹木の先端部分は、鳥たちの支配下におかれた。
地表くらいは、ほ乳類も進出した。
しかし圧倒的な体積を持つ木々の枝の茂った空間には、ほとんどのほ乳類が巣くうことができなかった。
 そこにいる動物は、様々な種類の昆虫くらいだった。
食虫目と分類されるモグラの仲間は、その名の通り、虫を食う。
だから彼らの天敵のいない森の木々の枝にそのすみかを発見した。
森の中とはいえ、地表にいると肉食獣がやってくる。
だから、彼らは木々の枝を生活空間に選んだ。そこで、枝から枝へ移動するため前足を発達させた。
 餌の昆虫の数は、木の下の方より圧倒的に多い。
数を増やした彼ら……原始的な猿の仲間は、強いものが下方を陣取った。
弱い猿たちは、上に追いやられた。そこには、昆虫が少ない。
昆虫を食うだけでは生きていけない。
やがて彼らは、木の実を食べることを覚えた。
彼らの生まれたのは、熱帯雨林だから、木の実というより、フルーツといった方がいい。
 ここで彼らのいた森について、少し説明しよう。
日本では森といえば同じ種類の木が多く生えている。
しかし熱帯雨林はちがう。
非常に多くの種類の木が生えているのだ。
むしろ同じ種類の木が隣り合っていることなどない。
 ここには、動物といえば、昆虫などのきわめて小さなもの以外存在してこなかった。
これは、植物の動物に対する聖域としてそこを築いたとしかいいようがない。
 熱帯雨林の木々は、その葉にアルカノイドなどの様々な毒を持つ。
ニコチンもコカインもその一種だ。
その葉を動物が食えば、中毒を起こしてしまうのだ。
だからそうした木ばかりが密集していること、これは動物に対する絶大な防御壁を築くことになる。
 常識とは反対に、木の実=フルーツより、葉っぱの方が栄養価が高い。
それを作るために、樹木が費やす力も、木の葉の方がはるかに大きい。
自己を維持し、大きくさせ、繁殖する力は、木の葉の部分での光合成だ。
だから樹木にとって木の葉は、根と同じくもっとも大切な部分であるのだ。
その大切な葉を動物に喰われては困る。木の葉の毒は自己防衛のためのものである。
 フルーツを食べ始めた猿が、木の葉を喰うのは次の大きな課題だ。
何しろ栄養価が高い。しかし難問が二つある。
一つは毒。もう一つはセルロース
木の葉はセルロースという動物には消化できない物質でくるまれている。
 しかし植物の葉にセルロースがという障壁があるのは、草原でも同じだ。
草原では様々なほ乳類が、それを克服した。
牛のように胃を複数に分け、その中でバクテリアを飼って醗酵させるという方法を編み出した種もいる。
盲腸を長くして、そこでバクテリアを飼う方法もある。
兎のように自らのフンを再食し、消化する方法もその一つだ。
 猿も様々な方法で、この障壁を克服した。
日本猿が、そのほおに植物をためるのは、牛のやり方に似ている。
 もう一つの難問は、毒物対策だ。
恐竜はこれができないために滅んだ、という説がある。それくらい難問だ。
 猿は、これに躰というハードウェアの改造ではなく、文化というソフトウェアの創造で対応した。
つまり、比較的毒の弱い木の葉を選んで喰う。
そして、同じ種類をたくさん喰うのではなく、たくさんの種類を少しずつ喰う。
この方法である。
 猿をよく観察していると、もぎ取った枝についている木の葉を、全部は喰わない。
ほんのちょっと喰うだけで、後は捨ててしまう。
実にもったいない喰い方をしていると思う。
しかしこれは贅沢ではない。
木の葉で中毒を起こさない知恵なのだ。
 この知恵は、群によって継承される
同じ種類の猿で、ハードウェアとしては同じであるにもかかわらず、ソフトウェアは違う。
数百種類もの、木の葉のメニューを群によって持っている。
これは他の動物に見られない特色だ。
 これが文化の始まりだと思う。
そもそも文化とは何かについては、諸説ある。
例えば蜂が、性格に六角柱の巣を作るのを文化と規定する人もいる。
確かにそれも文化かも知れない。
しかし蜂の場合その文化は、蜂の遺伝子に記録されている。
コンピューターでいえば、ROM(リード・オン・メモリー)にすぎない。
 ところが猿がここで獲得した文化は、ここの猿の脳に記録される。
正確にいうなら、群という形で形成された、猿の脳のネットワークに記録される。
RAM(ランダム・アクセス・メモリー)だ。
ROM化された文化が進化するのは、膨大な歳月が必要だ。
これに比してRAM化された文化は、短期間に飛躍的に進化できる。
 だから、これが文化の始まりに違いない。
そして、猿は文化をもって木の葉の毒を制した。
 さて、森の下の方では、相変わらず昆虫を食べている猿がいる。
昆虫は小さく、数もそれほど多いわけではない。
だから、彼らの摂取できる栄養は、たかが知れている。
ところが、木の葉を喰うようになった猿は違う。
豊富な栄養によって、体を大きくしている。
ソフトの進化は、ハードの進化をも促すのだ。
 彼らが昔、自分たちのご先祖さまを力づくで森の上方に追いやった、そんな記憶はないだろう。
だから恨みに思っていたわけでもないだろう。
 しかし彼らとて昔は昆虫ばかり喰っていた。
動物性の蛋白質はもともと喰っているのだ。
ならば、彼らにとって小さく見える古い猿たちを喰ってみたくなるのは当然だ。
 奴等を喰ってみよう。
 そう試みてみる。体も大きい。群とし独自の文化を持つくらいだ。
狩りのための連係プレーもできるようになっている。
おいやられたのは、昔の話。もう対等ですらない。一方的な攻撃者としての地位がある。
 猿が猿を喰う。
それは自然の成り行きだった。そして新しい時代へ、さらに一歩を踏み出した。
 動物の脳は、その乾燥重量の半分が脂肪酸である。
それは草食によっても、得ることができる。
しかし肉食は、より大量の脂肪酸を提供する。
猿を喰い始めた猿は、その脳を増大することができた。
 猿が人に進化した秘密。それは一つではなく、いくつもあるだろう。
しかし肉食は、その欠かすことのできないものなのだ。
人へと至る準備をした猿が、いったい何の肉を喰っていたのか。
明確な証拠はない。しかしもっとも多く喰っていた肉が、昆虫を喰う原始的な猿の肉であったことは、ほとんど明白だ。
何しろ、猿のテリトリーに豊富に存在するそれは、彼らをおいて他にないからである。


 猿が猿を喰う。猿が人間への歩みを始めた行為は、今でも残っている。
アフリカのチンパンジーの中には、今描いた姿をそのまま体現している群がいる。
 チンパンジーとは、人間にもっとも近しい猿だろう。
ただ頭がいいことでいえば、ゴリラもオラウータンもいい。
しかし、その群の形態=社会の形成の仕方を含めると、おそらくチンパンジーが、人間にもっとも近いといえる。
 いうまでもなく、チンパンジーとは、猿の一つの種の名称である。
同じ種であれば、その能力は、それほどの差はない。
はずである。ところがおもしろいことに、群によってその能力に大きな違いがある。
 道具を使うチンパンジーがいる。
何をどのように使うかは、群によって違う。
ある群では、石を使い木の実を割る。
別の群では、蟻塚の蟻を捕まえるため、木の棒を使う。
奇妙なもので、使える道具は一種類だけである。これが能力の限界らしい。
 こんなチンパンジーの中でも、もっとも人間に近いとされているのが、ピグミーチンパンジーだ。
彼は、ボノボとも呼ばれる。
学者によって、チンパンジーの一種と位置づける人と、別の種と見る人と分かれている。
専門家でも意見が分かれるくらいだから、チンパンジーの一種と言うことにしてもいいだろう。
何せ、こちらは素人。
 さて彼らは、どんな道具をつかうのか。
 石でもない。木の棒でもない。一見何も使っている気配がない。
実は他でもない、性器こそ、彼らの使う道具なのだ。
 オス同士、あるいはメス同士が、緊張した関係になる。
そうするとその緊張を解きほぐすためにか、お互いの性器をこすりあわせる。
これを動物学者は、チャンバラとかホカホカと呼んでいる。
どちらがオスで、あるいはメスの行為かは、説明する必要がないだろう。
 実際、チャンバラやホカホカを行うと、緊張がほぐれる。
 同性同士の間のトラブルの処理に、性器を使う。
では異性間のトラブルはどうだろう。と考えてしまう。
想像通り、性器を使う。交尾をするわけだ。
 何か変な気がする。
人間にあてはめれば、仲がいいからセックスするのでなく、仲が悪いからする。
ってなってしまう。
 じゃぁ、どんなトラブルの時に交尾するのか。
 ピグミーチンパンジーは、成長すると、メスが群を出る。
出たメスは一匹で暮らすわけではない。
他の群に入る。群の中では、共同生活が成立しているから、新参者は餌にありつきにくい。
実際は、ねだれば分けてもらえるのだが、ねだりにくい。
彼女は、ある種の緊張感を感じる。
 そこで群のボスや、力のありそうなオスと交尾する。
その後、餌をもらう。
この行為が発見された当時は、「チンパンジーが売春」などと報じられた。
 それほどのことはない。
要するに、トラブルがあったり、緊張すると相手と性器をこすりあわせる。
相手が異性なら交尾とり、同性ならチャンバラやホカホカとなる。
 お互いに性器をこすりあわせる。
きっと気持ちが良くなるのだろう。それで緊張をほぐす。それだけの話だ。
 ピグミーチンパンジーが、もっとも人間に近いというのは、その社会のあり方だ。
他のチンパンジーは、餌をとったり、喰ったりするために道具を使う。
一つしか使えない道具なら、それを性器とする。
それで群の中の緊張を解き、調和をはかる。
何ともほほえましい。
 普通動物には、発情期がある。チンパンジーも同じだ。
しかしピグミーチンパンジーにはそれがない。年中交尾している。
不思議なもので、妊娠の率は低くなる。
トータルでの妊娠率は、他のチンパンジーと変わらない。
これで群全体での妊娠率が上がれば逆に滅んでしまうだろう。実によくできている。
 人間の祖先の猿が、まだ一つの道具しか使えなかった時代。
それに性器をえらんだのかどうか。わからない。木の棒だったか、石だったかも知れない。
もっと他のものかも知れない。
しかしそれが二つになり、三つになり、少しずつ増えていった中で、性器は比較的初めに道具として使われたに違いない。
 年中発情し、性器を道具とする我々の姿は、それを証明する。
 チンンパンジーに限らず、高等な猿は獲物を分配する。
これが分配にとどまらず、交換に至れば人間の領域となる。
残念ながら、獲物の交換を行う猿は存在しない。
分配から交換へ。この一大進化を成し遂げる契機こそ、体の一部である性器を道具と化すことである。
「人間の手はもっとも便利な道具」ともいう。
しかし性器を道具にすることとの間には、大きな隔たりがある。
やはり本当の意味で道具となるのは性器だけなのだろう。
 それにしても、ピグミーチンパンジーとは、なんと我々に近しい存在なのだろうか。
犬や猫の動作に人間らしさを感じ、微笑んでいる我々は、実際の彼らの姿を見たとき、どのような反応をするのであろうか。
 いずれにしても、人間の進化の物語はそれ以上に興味深い。
 森に逃げ込んだモグラの仲間から、猿が発生した。
生存競争に敗れた猿が、様々に食性を変えた。
やがてかつての勝者を獲物として喰うことによって、人間になることができた。
おそらくそれ以降も、肉を喰うということは、人間の進化にとって大きな役割を果たしたに違いない。
 様々な道具の開発。火の利用。さらには、牧畜の開始など。
我々の前史は、喰うことによって綴られてきた。
 なんとすばらしい物語だろう。
 だから、肉を喰う。牛を喰う。喰い続けるだろう。



以上。トゥネガティブ8月号 No.6 AUG. 1995
より、阿久津勘平さんの「完全な食欲を求めて」の第三回を転載しました。
文章の中で「食人について語りたい」と書かれていますが
あいにく、その機会はないまま、トゥネガティブは今号で休刊してしまいました…
美味しい猿の食べ方が書かれるのかと思いきや、人類発展の道のりを
食文化から迫ってみるコラムになるとは、初めて読んだ時は驚きましたよ。
悪趣味本の中で、こんな連載を始めた阿久津さんは偉いな〜
好き放題書いていいと言われたから、このコラムを始めたのでしょうか?
前回までのコラムは3段組の小さい文字での掲載だったのが
今回からは、2段組で少し文章も読みやすくなり
さらに5Pだったページ数が7Pに増えて、これからだ。という時に休刊です。
トゥネガティブという雑誌自体は、休刊後に一度だけ数回に渡り復活しましたが
悪趣味本の一環としての復活だったので、阿久津勘平のコラムは復活しませんでした。
このコラムが好きで、復活を待ち望んでいたのは、全国に5人居れば良い方かなw
つーか、エロ本の写真を見ずに、コラムに熱中する人が稀有なのかも知れない。
トゥネガティブが残してくれた遺産としては、トレヴァー・ブラウンさんを日本に紹介した事かな。
トレヴァー・ブラウン目当てで、トゥネガティブのバックナンバーを買うのであれば
一緒に、阿久津勘平さんのコラムも読んであげて下さい。
無理してバックナンバーを買わなくても、今回全文を転載しちゃいましたが…
阿久津勘平さんの現在の活動をご存知の方からの情報もお待ちしております
これだけの文章を書ける人だから、何かしらの本とか出していると思うんだけどなぁ