RIO BANANA

脳内再生限定モデル

というような実にリアルな夢を見た。もし本当だったら大変だろうなあと思う。
なんだ嘘か。と怒ってはいけない。嘘ではない。夢だったのだ。
そんな夢をみたなんていうのも嘘だろう、などと勘ぐるのもよくない。
だってこの作品は、明石聖人・大久保町の母と謳われた『田中哲弥』の本なのだから。

大久保町の決闘―COLLECTOR’S EDITION (ハヤカワ文庫JA)

大久保町の決闘―COLLECTOR’S EDITION (ハヤカワ文庫JA)

ついに復刊される事になりました!
田中哲弥にハマる事になった大久保町3部作が、ハヤカワ文庫に殴り込み!
この第一巻が売れなきゃ続く、大久保町は燃えているか!?や、さらば愛しき大久保町が
出版されるかどうや危うかも知れないのでみんなも買うように。ぜひ買おう。ふるって買いましょう。
もうね、田中哲弥さんの本を読んじゃうと、どんどん文章が口語かしちゃうのはなんでかな。
思いついた事をひたすらタイピングしちゃうようになっちゃいますよ。いや本当に。
でも、小説は適当に書いたのではなくて、きちんと考え抜いて書いたんだろうな。とはおもってはみたももの
やっぱり、しめきりが近づいたので、いっきに2・3日でパッパと書き上げたように見えなくも無いってところが
素晴しくもあり、田中哲弥の魅力なんだなと思ってみたりもする。みんなも思うように。
電撃文庫版の大久保町の決闘 (電撃文庫)と違う点と言えば、挿絵の変更が一番大きいかな。
此路あゆみの絵が素晴しかったので、今回の長澤真では、ちょっぴりものたりません。
河合茂平の疵のあるとぼけた顔が見たかったな…
長澤真版ではメガネの男になってる。これからの大久保町シリーズは長澤真が描くのだろうか?
少年小説だった電撃文庫に比べると圧倒的に挿絵の量も減っちゃっているので
目で楽しむワクワク感は減少したのは寂しい限り。
値段が多少上がっても良いので、挿絵がいっぱいあれば幸せムードがてんこもり。
格好良いイラストとかは要らないので、河合茂平が魔法瓶について熱くか立っている様子とか
大久保町人のおっさんや、国連病院の看護婦さんなどがワイワイ賑やかによろしくやっているのを描いて欲しいw
本文の感想は、他の人に任せるとして、ここは明石を愛するものとしては、巻末の解説で触れられている
明石市立文化博物館』へ行って来た時の写真でもどうぞ。
まずは、博物館に入る前に気になった民家の写真から
博物館に入るまでにも見所たっぷり
もう入る前からワンダーランドに来た気分にさせてくれます。
そして入り口に向かう前にも、素敵なオブジェを発見したので、もう一枚。
20070403
水車は判るとしても、その横の白い鯛は何を意味するものなのでしょうか?
金色の鯛が不評だったので白い鯛にしたのかも知れません。真実は如何に。
ちなみに駅前の新しくなった鯛は、今はこんな感じで鎮座しています。
JR明石駅から眺めたらもっと面白いけど、駅のホームで写真を勇気が若干必要です。
20070403
今回の博物館視察の目玉は『昭和なつかし博覧会』(PDFファイル)を観る事でした。入場料は200円。
20070403
それらの展示物は、なかなかの作りこみ具合で非常に楽しめました。
でも注目すべきは昭和なつかし博覧会ではありません。
その隣にある常設展示場での明石の歴史コーナー。
まず入ってみたらドーンと大きく象の化石が多分実物大で展示中。
20070403
その横には、明石原人の化石とかの展示物がありますが腰骨の一部なのであまりにもショボくてスルーしてしまいます。
ボタンを押せば始まるビデオとかありますが、だれも再生しないので画面ヤケが起こってしまい
再生しても、画面中央にタイトル文字が残ったままです。
博物館が出来てから、ずっと同じのを流しているんだろうなあ。としみじみしながらも
音声が全く流れてこないので、もういいやと、その場をあとにしました。
歴史ごとに区分けされて色々展示されていたけれども、象の化石ほどインパクトのあるネタは無かったし…
そしてこの日も、田中哲弥さんがご覧になられたという「魚住城跡」のパネル写真を発見する事は出来ませんでした。
昔、一度訪れた時も探そうと思いましたが、何を探せば良いのかすっかり忘れてしまい象の化石のインパクトだけで帰ってしまいました。
田中哲弥さんの仰るとおりの「必見のしょうもなさ」です。
明石観光に訪れた際は、入り口の水車と隣の民家をお楽しみ下さい。


追記
この大久保町シリーズを知る事になった
明石のバス亭前に何気なく据え置きされていた「五円新聞」という情報誌。というか藁半紙一枚のチラシは
今でも配布されているのだろうか?
五円新聞の現在の活動をご存知の方は一報お願いします。
「ごえんしんぶん」という名前だけ覚えているので、ひょっとした「御縁新聞」だったかも。